昔ながらに流しもとに立ってコゲた鍋底を磨きながら涙を落とす、なんてどう考えても、ネアカをモットーとする私の表現としては似合わないではありませんか。
そこで苦しまぎれにひらめいたのが能の世阿弥の発想です。
能に「素面(ひためん)」という種類があります。
役者が面をつけずに、自分の素顔で演じる演目のことです。
素顔であっても彼はその役を演じていることには変わりありません。
もともと西洋でも人間(パーソン)はペルソナ(仮面)と同義語でしたし、
人が社会の中で何らかの面(マスク)をつけて生きてゆくという考え方はどこにでも共通するものです。
と考えると、私のこの素顔も、家庭というステージにあっては「妻」というペルソナなのです。
犬やペットの専門家・高橋ナツコ