2015年6月アーカイブ

そこには主婦や母でも、エリート女性でもなく、また男性にとっての性的存在にも還元されない生身の女としての「私」を語ることばが模索され、今日のフェミニズム理論への転換点を画す問題が提起された。

初期リブ運動の主要な争点は、1972年の優生保護法改悪阻止闘争である。

「産む・産まないは女の自由」「子殺しの女はあたしだ」という一方、「産める社会を! 産みたい社会を!」との主張がなされた。
リブは「母性」を問い、男性と女性自身の「母性幻想」の解体を求めた。

それは、性的対象としての女性から、性的自己決定権を獲得するという意味での「性の解放」の主張へとつながる。

今日、リブのインパクトは「男らしさ」を問い、解放を模索するメンズ・リブの試みにも影響を及ぼしている。

また、1994年には大阪大学で「女性学・男性学」の講義が設置されるなど、男性学も広がりつつある。

犬やペットの専門家・高橋ナツコ

女性の参政権獲得の歴史

15年戦争下で「婦選どころではない」という意識が広がり、婦選同盟も翼賛体制に組み込まれていった。

女性の参政権獲得の歴史は、しばしば戦争の経験と結びついてきた。

イギリスやアメリカの女性参政権が第1次大戦後に獲得されたことは偶然ではない。

それは男性に代わり、戦時下の労働力を担った女性の「銃後の守り」に対する、国家の恩恵という意味を帯びている。

参政権獲得にともない第1波フェミニズムは沈滞したが、1960年代以降の第2波フェミニズムの展開によって、参政権獲得では解消されなかったジェンダー間の権力関係が問題視されている。

犬やペットの専門家・高橋ナツコ
アメリカでは1920年、イギリスでは1928年まで待たなければならなかった。

婦選獲得同盟の中心的な存在であった市川房枝は、婦人参政権の獲得による、議会への均等な参加や法律上の女性差別撤廃の必要性を強調した。

そこには、参政権の獲得による制度的な平等が、女性解放の道へとつながるという強い確信が込められていた。

25年、普通選挙法の制定により、婦選運動は最高潮を迎えた。

29年には衆議院議会で婦人公民権案が提出され、翌年には婦選獲得同盟の第1回大会開催や日本各地への同盟支部の拡大など、運動は順調に伸展していくかにみえた。

だが、31年9月の満州事変の勃発によって運動は急速に勢いを弱める。

犬やペットの専門家・高橋ナツコ

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